1985年からの8年間 NHK「おかあさんといっしょ」の7代目「うたのおにいさん」を務め、うたのおにいさん時代から現在にいたるまで、数多の こどものうたを作詞・作曲・歌唱されてきた坂田おさむさん。
インタビュー《前編》では、「おかあさんといっしょ」の人気曲「どんないろがすき」「にじのむこうに」「ありがとうの花」や、「みんなのうた」で話題を呼んだ「ママの結婚」――坂田さん作詞作曲の名曲の背景などを、たっぷりお聞きしました。
取材 三平典子・桑原永江
構成 桑原永江
―うたのおにいさんだった時代を含めて、NHKの「おかあさんといっしょ」に、"月のうた"だけでも30曲を越える作品を作詞作曲されていますが、そもそものきっかけは?
坂田:1980年代、シンガーソングライターをしている時に、僕の2枚目のシングルを作詞してくれた作詞家の遠藤幸三くんが番組に紹介してくれたんです。遠藤くんは「おかあさんといっしょ」に、当時の体操のうた「ぞうさんのあくび」や「しまうまグルグル」など、たくさんの詞を書かれたかたです。
そのときの僕は純粋なフォークとかロックのシンガーソングライターで、イメージで言えば浜田省吾さんや松山千春さんみたいな感じでした。彼らとデビューは同時期だったんだけど、当時仕事と言えばライブハウスがほとんどで、遠藤くんが可哀そうに思ったんでしょう(笑)。「器用だから番組で使ってもらえるかもしれないよ」って、女性のディレクターを紹介してくれたので、伺うことにしました。
こどものうたは全く作ったことないから、その日は、伺う前日に作った「フラッシュライト」という曲を聴いてもらいました。酔っぱらいの歌で、タクシーに乗って、間違えて別れた女の住んでる部屋へ向かってしまう、みたいな歌で(笑)。
ディレクターさんはそれをちゃんと聴いてくれて、ヘッドフォンを外して「今日はおかあさんといっしょに曲を持ってきてくださったんですよね」「はい」「これはこどもたちには歌えません」(笑)。でも、――遠藤くんから聞いていたんでしょうね――「あなたお子さんが生まれたんでしょう? じゃあその子を朝から夜まで見ていたら、感じることがあるでしょう。それを歌にして、そういうのが出来たらまた聴かせてください」と言われて、わかりました、と。
それで、彼女の言葉どおりに、まだ2歳だった娘を乳母車に乗せて神田川沿いを歩いたりして考えた「はるのかぜ」と「うばぐるま」、それからこどもの一日の生活を観察して歌にした「そろそろもぐもぐ」の3曲を作って、半年後かな、そのディレクターに聴いてもらったら
――3曲とも(!)使っていただけることになりました。
歌の録音後、オンエアの日を教えてもらってなくて、いつものように娘と「おかあさんといっしょ」の夕方の再放送を見ていたら、どっかで聞いたことある♪ふわふわり~ と「はるのかぜ」が流れてきて。ああ、ほんとに使ってくれたんだと、そのときはちょっとびっくりした(笑)。
―それにしても初めて作ったこどものうた3曲がすべて採用とは(!)。作っているときに手応えはありましたか?
坂田:手応えね…わかんなかったと思う。一生懸命作ったけれど、これでいいかどうかは自分では判断つかなかった。だけど、"自分がこどもになって聴いたとして、「はるのかぜ」「そろそろもぐもぐ」をおもしろいと思うだろうか?"という視点で聴いて、「いんじゃない」と思った。それから歌を作っているときにはだいたい娘がそばにいて、彼女が僕の最初の"モニター"だったんですよね。で、作って聴かせると、まだ2歳なんだけど「うん、いい」とかって(笑)。
――あ、ウケてるじゃあ提出しちゃおうか。そんな感じでした。
その後も僕が歌を作るところを彼女は横で見ていて、「いい」って言ったり、逆に反応がいまひとつの時はやっぱり駄目で(笑)、娘にウケてないモノを番組に提出してもハネられたりしてたから、厳しいというか素晴らしいというか、あいつ"いやなヤツ"でしたね(笑)。彼女は今そういう歌づくりの仕事についてますから、その頃のそうした記憶や経験が心のどこかにあるのかなって思うと感慨深いですね。