思い出の童謡詩 私と「赤とんぼ」
鈴木紀代(詩)
私は幼稚園、小学校、中学二年生までの10年間を、両親の故郷である岡山で過ごした。かなり封建的な、人の噂を気にする土地柄で、私は後ろ指を指されないようにと厳しく育てられた。
小学校4年生の時、平田の克っちゃんという男の子が転校して来た。彼のお父さんと私の父が同じ旧制中学の同級生だったということもあって、彼とは幼友達でよく遊んでいた。
そのことを担任の先生は知っていたのか、私の隣の席が彼の席に決まった。私達は以前にも増して仲良くなり、算数の時間は私の苦手な「つるかめ算」等、彼は難なく解いて私に教えてくれた。
ちょうどその頃、彼の両親は離婚をして新しい母親を迎えていた。彼はその母親になつけなくて、学校が終わると毎日のように私の家に遊びに来る日が続いた。その内、彼は晩ご飯も私の家で一緒に食べるようになっていった。
2学年上に在学していた私の姉が、ある日、「克っちゃんときよちゃんはいいなづけだ」という噂が学校中に広まっている。と、大袈裟に母に告げた。母はびっくりして「そんな噂を立てられたら、きよちゃんのお嫁の貰い口が無くなるから、明日から克っちゃんに晩ご飯は食べないで帰って貰うようになさい」と、厳しく私に命じた。晩ご飯の支度が出来ると、母は私に目顔でそのことを知らせたので、それからは仕方無く、言い出しにくい思いを言いよどみながら「電車筋まで送って行くわ」と、もじもじしながら彼に言う羽目になった。
私の家から、軌道電車が走っていた電車筋まで100メートルくらいの細い道を彼は乗って来た自転車の右側でそれを押しながら、私は左側で二人これ以上ゆっくり歩けないほどゆっくり歩いて電車筋に向かった。
彼は、その時必す「赤とんぼ」の歌を歌うのだった。「赤とんぼ」は、学校で習った歌ではなく、童謡として耳から覚えた歌だった。
彼が余りにも、しかも「赤とんぼ」の一番だけを淋しそうに歌うので、私は「夕焼け小焼けの赤とんぼおわれて見たのはいつの日か」の「おわれて」は、私の母に「シッシッと追われて」見た「赤とんぼ」の意味だと思い込んで、何て悲しい歌を歌うんだろうと、その都度、胸をえぐられる思いで、今にも泣き出しそうになりながら聴いたのだった。
大きくなってから「赤とんぼ」を最後まで歌うようになった時、初めて「おわれて」は姐やの背中に「負われて」見た「赤とんぼ」だと知り、そんな温かい歌だったのか!と、何故か救われる思いがして、痛めていた胸をなで下ろして以来、何十年経っても忘れられない私の一番好きな童謡なのである。
プロフィール
本名 鈴木 清
出身地 東京生まれの岡山・神戸育ち
最終学歴 青山学院女子短期大学英文科
1984年 演歌の作詞家として初盤「北のめぐり逢い」をリリース
主な作品 長山洋子 「捨てられて」「じょんから女節」
●●●●●北島三郎 「根っこ」「生かされて」
●●●●●橋幸夫 「ちゃっきり茶太郎」
●●●●●森進一 「花のブルース」
●●●●●山内惠介 「風蓮湖」「釧路空港」「古傷」
2017年 孫が生まれて童謡に目覚め、日本童謡協会に入会 現在 監事