童謡と

多田慎(曲)

私は生まれつき左右の手の色が少し違う。

心配した母がたくさんの病院を回り、原因を突き止めようとしたのだがついにわからなかったのだそうだ。

このままでは将来手が不自由になってしまうのではないか、両手を使う何かをやらせなければと思った母が、何の医学的根拠もなしに半ば強引に私に習わせたのがピアノであった。5歳の頃のこと。

レッスンは初めはとても楽しかった。しかし曲を追うごとにだんだんと演奏が難しくなり、小学校中学年になると私はもうすっかりピアノが嫌いになってしまった。1985年頃の話であるからまだまだピアノ男子も少なく当時は格好悪いことのように思っていたのかもしれない。

そんな中ある日の音楽の授業で私はとても好きな歌に出会った。『大きな古時計』だ。 明るい中にどこか切ない雰囲気が漂い、なんて綺麗なメロディーなのだろうと背筋がキュッと なった感覚を今でも覚えている。その頃にはもうすっかりピアノは嫌いになっていたが、私はどうしてもその『大きな古時計』を弾いて、そして歌ってみたくなった。

しかし当時私が持っていたのは主旋律と歌詞のみのメロディー譜。そこで私は音楽の先生の弾いているピアノを参考に、そのメロディーに自分で和音をつけてみようと思ったのであった。ところがどうにも先生の弾いているようにはならない。今思えば、先生に教われば済む話であるのだ が、引っ込み思案だったこともあり素直に教えを乞うことも出来なかった。もしかしたら自分で和音を見つけていく作業を楽しんでいた部分もあったのかもしれない。

何とか簡単な和音を見つけ、私はある日教室にあった足踏みオルガンでそれを友達に披露した。すると友達が一緒に口ずさんでくれたのだ。

あの日の、音楽って楽しいなという気持ちは忘れられないし、私の全ての音楽活動の原点であるようにも思える。大袈裟に言えば私にとってクラシックとポップスの分岐点だったようにさえ思うのだ。

のちに『大きな古時計』は私が生まれる100年以上前に発表されたアメリカのポップソングで あったことを知る。そういう意味では『広義での童謡』ということになろうかと思うが、そう いった音楽を受け入れる懐の深さも童謡の一つの特色と言えよう。『童謡のルーツはクラシックなんだよ』という伊藤幹翁先生の言葉が思い出される。ポップス畑の私を温かく迎え入れて下 さった理由とは何だったのか。新しいポップスのヒントが童謡やそのルーツであるクラシックの中にあるのかもしれない。今日もポップスを伴盤で作曲した。幸い私の両手は健康であるが、その色はまだ少しだけ違う。まだまだやれることがあるに違いない。

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