或る話題

小森昭宏

つい二・三日前、小学校時代の友人から「久しぶりに会おうか」とのさそいで、母校の戸山小学校の近くにスナックを開いている同級生の店に、数人が集まりました。 当時、われ/\の学年で、いちばんうたがうまかった松平新太郎や、文化放送の細田勝アナなどがメンバーでしたが、当夜の話題は、音楽を水戸照子先生や、渡辺茂先生(たきびの作曲家・会員)に習ったこと、松平が児童唱歌コンクールに出て2等賞 をとったことなどでした。そのコンクールで1等賞をとったのは、川田正子さんだったと云うので、又話がはずみました。
当時、私達がうたっていたのは、文部省唱歌や軍歌などで、童謡と云っても「兵隊さんありがとう」式の、時代を反映したものが多く、私なども、いろ/\な歌に刺戟された結果でしょうか、「どうしても少年航空兵になって、お国のために死ぬんだ。」と云っては親を困らせました。本当に飛行機乗りになって、敵の航空母艦に体当りをして死ぬつもりになっていました。
"うたは世につれ 世はうたにつれ"と申しますが、小学生の私は本当に"うたにつれ"て、お国のために死ぬ決心をしていたのです。そんなに影響力のあった、"うた"であり"童謡"であり、教育であったのですが、さて、今はどうでしょうか。"うたは世につれ"と云えるかもしれませんが、"世はうたにつれ"とは云えなくなったのではないでしょうか。たしかに、あの狂気のような時代だから、"うた"に影響力があったのかもしれませんが……。お国のために死ぬ決心をさせるような"うた"は、もう結構ですが、あんなにみんなの心を動かす力があった"うた"は、どこへ行ってしまったのでしょうか。時代のせいでしょうか。"うた"をつくっている私達のせいでしょうか。今度、コロムビアから「音声資料による、実録大東亜戦争史」と云うレコードが出ますが、その童謡篇を聞くのをたのしみにしています。小学生の私に、あんな決心をさせた"うた"の力を、もう一度たしかめてみたいと思っています。

日本童謡協会会報第2319971220日発行

プロフィール
1931年ー2016年 東京生まれ。 新宿区立戸山小学校・都立九段中学・高校を経て、1957年 慶応義塾大学医学部卒業。外科学教室助手の後、脳外科医となる。
幼児期よりピアノを習い、学生時代から池内友次郎氏に師事。1960年代からは作曲中心の生活の中で、こどもの歌をはじめ、歌曲、音楽劇、オーケストラ作品の他、園歌・校歌・CM曲等、数多くの作品を遺した。 1998年、サトウハチロー賞受賞。音楽劇「あらしのよるに」(演劇集団円•こどもステージ上演)で、日本児童演劇協会個人賞を受賞。
父は、NHK交響楽団•新交響楽団等のティンパニー奏者 小森宗太郎。