わたし的「童謡のつくり方」①

やなせ・たかし

メロディーを持つ言葉
歌を作るようになった始原を求めると、小学一年生の時に書いた作文でしょうか。先生に「やなせくんの作文は歌みたいですね」って言われたことがあって、それがすごく印象に残っています。文章を書くとリズムがついてしまう癖が昔からあったんですね。たとえば阪田寛夫さんの「サッちゃん」にしても、まど・みちおさんの「ぞうさん」にしても、詩を読んでみると、そこにリズムやメロディーがある。そういう生来のリズムを持っている人といない人がいて、持っている人の詩は作曲がしやすく、読んでいけばメロディーになるのじゃないかな。先人と比べ僕はけっして優れた詩人ではないけれど、自分の作文も詩も歌も、割合ひとつのやなせメロディーみたいなものは持っている気がします。

 『手のひらを太陽に』
僕は基本的に漫画家なんです。ところが手塚治虫が現れ僕らが描いていた大人の漫画が全部ダメになり、長編漫画の時代になってしまった。テレビやラジオの構成をやって食えてはいたんだけど、本職のほうはゼロになった。そんな失意のときに、仕事場でなんとはなしに手のひらに懐中電灯を当てて透かすと真っ赤に見えるんです。自分に元気がなくても血はすごい元気なんだ。それが『手のひらを太陽に」の詩になった。だから最初は「手のひらを懐中電灯にすかしてみれば」だったんだけどね(笑)、太陽に直したんだ。この曲は作曲家のいずみたくと出会って最初に作った曲で、そのあともコンビで数百曲をいっしょに作ったけど、唯一・最大のヒットになりました。詩の中には「ぼくらはみんな生きている生きているから悲しいんだ」というフレーズがあって、そこからあとの歌もみな生きていることがテーマになっていく——。最初の作品にはそういう何ものかがあるのかもしれない。

 『アンパンマンのマーチ』
アニメ「それいけ!アンバンマン」の主題歌『アンパンマンのマーチ』は曲先、つまり曲が先にあって、それにはめこんで作りました。曲先だと詩にちょっと無理ができるので、個人的には詩が先にあり詩に触発されて曲ができてゆくのが正しいと思うけれど、アレはなかなかいい詩になりました。……って本人が言っているだけなんだけど(笑)。「なんのために生まれてなにをして生きるのか」とは難しい、哲学的な詩です。でも、まったく白紙の小さい子にとっては難しいも何もない。歌のスピリットさえよければ、意味がわからなくても伝わるものは伝わるから、子どもをナメずに自分の言いたいことをちゃんと言ったほうがいいと思うんだ。それに子どもは、子ども扱いされるのがいちばん嫌なんだからね。

 送り手の使命
今の子どもは、生まれたときから大人の歌をどんどん聞いています。聴くつもりじゃなくても流れてくる、そういう環境の下で「童謡はこうなんだ」って聴かせ ても子どもには退屈なんじゃないかな。…僕は、現代の童謡っていうのはアニメソングだと実は思っている。だから子どもたちに今歌われている、そういうアニメソングなりCMソングなりのクオリティを上げていくのも僕たちの使命じゃないかな。それと気になるのが、今の多くの歌手はうまい歌を聴かせようとしすぎて、聴いている人を楽しませようという意織が足りないこと。歌の作り手も同じで、作品を発表するときに大切なのはそこに来ている人・聴いている人が喜ぶことですから、一回ステージでかけて、その反応を見てもう一度修正するような試みも必要かもしれない。もちろん童謡協会の趣旨から外れてもいけないし、難しいところですけどね。…それは僕みたいな老人じゃなく、若い人が考えていくべきでしょう。俺なんざも う86なんだから(笑)。

 

取材・構成/桑原永江

 

日本童謡協会会報第13720051110日発行