作詞をする時に音楽はすごく大事だと僕は思っています。――この話はあまりしないんですけど、歌っていうのは、詩・作詞と作曲が両方あって初めて成り立つもので、その魅力が50対50なのがいいと思うんです。でも、最終的には詞の役割の方が多くて詞が6、曲が4だったり、逆に詞が2で曲が8の場合もある。そういうことを考えながら作詞家は詞を書くんだなっていうのが、僕がずっと歌を作ってきての実感です。
それは僕がシンガーソングライターで、自分で曲も書くからということが実は大きいんです。曲ができて歌が完成するわけだから、曲のない詞のままでは詞は未完成作品っていうのが僕の考えだったんですよね。
あるとき詩人の工藤直子さんに「歌の詩って、言葉がひとり立ちしてないことが多いよね。だけど しんちゃんの詩は時々ちゃんと詩だけで立ってることがあるよ」って言われたことがあって、「なんか褒めてくれたんだけど、えっ?」て思って。詩人はそう考えてるんだって思った。
僕は詩人と作詞家は違うと思うんです。
ところが、童謡の世界では結構、詩人と作詞家って分けないんですね。大人の詩だったら、谷川俊太郎が詩人で、阿久悠は作詞家で、絶対に逆のことはないの。それは谷川俊太郎が書く文学的な詩と、阿久悠の歌謡曲の作詞っていうのは、もう本当に別の職業のスキル、別の専門性があるわけです。でも子供の歌になると、日本童謡協会で詩を書いてる方には、結構、私は詩人と思ってる方も、私は作詞家だと思ってる人もいると思いますが、意外とあまり分けては考えてないなって思ってて。でもなんとなく“詩人”の方が偉い感じがしちゃう。――詩人の詩の方が立派な詩で、作詞家は職業作家でちょっと落ちる、みたいな感覚がちょっとあるんですよね。
僕もそれは悔しいと思ってて、ちゃんと詩集で読んでも大丈夫な詩を書きたいとずっと思っていました。でも、歌詞としてはいいけど詩人が書く詩ではやっぱりなくて、詩集に載ってたら変っていうことがある。だけど、それがいい歌だったりするんですよ。
阿久悠の詞を詩集で読もうとは思わないけど、歌で聴いたらいいんですよ。なかにし礼の作詞もいい。山川啓介さんは、子どもの歌を井出隆夫という名前で書いてましたが、あの人は詩人じゃなくて作詞家でした。井出隆夫さんの詞を詩集で読もうとは思わないけれど、本当にいい歌がいっぱいある。番組に映える歌だったり、子どもが歌いやすいものだったり。
それはどっちがいい悪いじゃなくて、いろいろあるんだなって思って。僕は曲がついた時に完成する歌作りというか、そういう詞も大事にしようと思います。
それは中川ひろたかさんと一緒にやって来たということも大きくて。作曲家の力を最大限生かす――、特にポップスの作家の力を活かすには、そういう詞を書かないといけないというのが自分の経験の中からあって、そういうことを意識し、努力して書こう!とある時自覚したんです。その大きなきっかけになったのが「アイアイ」という歌です。「アイアイ」は僕が子どもの頃も歌ってましたけど、当時は子どもっぽい歌だと思ってました。
自分があどけない頃はかわいく歌ってたと思うんだけど、ちょっと大人になってきたらアイアイなんて歌わないよ!っていう歌だったの。♪アイアイ アイアイ おさるさんだよ-、っていう詩ですよ。僕の中では「ちいさい秋みつけた」が最高峰だから、比べてみてアイアイなんて!ってずっと思ってた。
ところが、僕が歌う仕事になり、園に行って「アイアイ」を歌うと、とんでもない盛り上がりですよ。もう「アイアイ」最強って思うくらい。そのときに やられた!すごいなこの歌って思って。もちろん曲がいいっていうのはありますよ。だけど、ずっとこんな詩だよって思ってた相田裕美さんのこの詩が、――なんて無駄のない!!って言うのかな。「アイアイはおさるさんだよ。南の島のおさるさんだよ。尻尾の長いおさるさんだよ」ってことしか言ってないのは、すごい!!
童謡って、大人が作るじゃないですか。大人が作って大人が指導して、子どもに歌わせるものなんですね。そうすると、大人の、子どもにこう歌わせたいって思いが出がち。この歌を歌ってみんな仲良くしようねとか、いい子になろうね、みたいな思いが透けて見えがちだけど、そういう押しつけがましさがこの「アイアイ」には何にもない。だから子どもがのびのびと♪アイアイ おさるさんだよ~って歌える。本当に子どもがまっすぐに、あどけなく歌える。それで とてもいい曲!!って思ったんです。