「うたえバンバン」の詞を書いた人が阪田寛夫さんで、阪田さんは昔放送局のディレクターさんだったのかな。その時にいろんなところを取材して回っていて、下町にある十字架のある保育園を番組で取材してくださったことがあったんです。僕が生まれるずっと前のことで、その保育園の園長が父親で、勤めていたのが母だったんです。
その小さな保育園に阪田さんが取材に来て、実は僕は歌の歌詞とかも書いてるんですって話をしたんですって。阪田さんは父親と母親に「保育園で使ってください」って言って童謡の曲集をくださって、それからずっと年賀状がうちに届くようになったんです。阪田さんが「サッちゃん」っていう詩集を作った時にも阪田寛夫ってサインが入った本がうちに届いていて、“遠くにいる、作詞をする夢のおじさん”みたいな人が阪田寛夫さんだったんですよ。僕は子どもの歌を作るようになって、仕事をするようになって、阪田寛夫さんにお会いできてその話をしたんですけど、僕の中で阪田さんがいちばん初めに出会った、子どもの歌の作詞をする人だったんですね。
阪田さんから僕はとても影響を受けました。
僕は弟子って訳じゃないですけど、阪田さんを慕って歌を作っているところがありました。その後 僕と中川ひろたかさんが作った歌をステージで歌ったりした時に阪田寛夫さんがお客さんで来て、ステージを見てくださいました。それから結構 交流があって「新沢君は詩を書くんだね。これからはあなたみたいな人が詩を書いていくんだよ」とすごく励ましていただき、詩を読んでもらったりもしました。
中川ひろたかさんと作った「ハッピーチルドレン」という歌があります。♪それはふしぎな魔法の力 ぼくとはなすと 幸せになる だれでもいいさ 耳をかしなよ ほっぺゆるんで 笑いたくなる ハッピー ハッピー ハッピーチルドレン ハッピーチルドレン おこりんぼはどこ?――そういう歌なんですが、あるとき阪田さんに「あの歌は曲が先ですか」って聞かれたんです。基本的に僕が先に詞を書いて中川さんは後で曲を書くので「いや、詞が先なんですけど」って答えると「そうですか?そうは思いませんでした。曲が先だと思いました」と感心なさったように言ったんですよ。
それはどういう意味だろうと思ったんです。詞が先・曲が先ってどういうことかなって色々と考えていくと–、中川ひろたかさんのこの曲は面白くて、メロディの形がずっと同じなんですよ。この歌の音程は♪タータラタタタタ~って、ずっと形が同じようになっているから――中川さんは“繰り返し”や“ビート”をとても大事にするポップスの人なので――、詞の中から繰り返せるメロディをどんどん拾っていくというか作ってくる才能がある、すごく力のある方で、だから僕の詞を中川さんがきっちりとそのメロディに当てはめてくれたので、まるでもともと曲があったかのような歌になってたんですよね。
それは僕が意図して、そういうリズムが見つけやすいように詞を書いてるところもあって。僕と中川さんで歌を作り始めてから二人で歩み寄って作り上げた方式だったと思います。中川ひろたかさんも僕の詞からそういうメロディの形を見つけやすかっただろうし、それで阪田さんは曲が先に感じたんだろうと思ったんです。
曲が先かと思ったと言われたとき、僕も中川さんも褒められたって感じたんですよ。それは意図したことでもあるって思って。阪田さんのその言葉で、僕と中川さんはいいチームなんだとすごく思ったんですよね。中川ひろたかさんが先にメロディを書いて、そのメロディに合わせて詞を書いたこともあるんですが、その時には逆に詞が先かと思ったと言われたりして、そう言われるのをお互いに快感に思いながら歌を作るところがありました。