―坂田さんご自身は、こども時代にどんな歌を聴いたり歌ったりしてきましたか?

坂田:うちにテレビが来たのは小学校2年生の時だから、それまではまだラジオの時代で、歌といえばラジオから。あとは親戚が集まる飲み会で♪死んだはずだよ お富さん~とか歌ってるのを聴いたり、おふくろが台所で料理を作りながら♪まさかりかついだ金太郎~とか、「七つの子」とかいろいろ歌ってたのを聴いてました。

 それからレコード! …78回転のレコードって知ってる? 落としたら割れちゃうんだよ。だからだいじに扱わなきゃいけない。「金太郎」、「浦島太郎」、「おさるのかごや」とか「赤胴鈴之助」のレコードも買ってもらって、よく聴いてました。

 …こどもだったし、思い返してみると"これが童謡、これが歌謡曲"って切り替えはしてなかったね。流れてくれば、楽しければなんでもいいやってもので、…だから「おさるのかごや」もいいし、歌謡曲の「お富さん」もいいと思ってた。どれが童謡でこどもが歌うものなんだって区別はうちにはなくて、僕が「お富さん」を歌っても「大人の歌 歌うんじゃない」とは言われなかったよ。歌が好きなんだから何を歌ってもいいって、――うちはそのへんおおらかでしたね。

 ちょっと大きくなって小学校二年か三年のときにテレビでNHKの「ひょっこりひょうたん島」が始まって、「これは楽しいなあ」と見て、歌ってました。

 あ、遠足でバスに乗っていくときに、順番で歌っていくなんてこともありました。あれ、緊張するけれど楽しいんですよね(笑)。歌いたい、ドキドキする、ちゃんと歌えるかな?っていろいろ思うんだけど、好きだった。あれがみんなの前で歌う原点だったかもしれません。