【童謡碑・埼玉及び東京】
清水かつら〈1898(明治31)~1951(昭和26)〉は東京深川の生まれだが、関東大震災によって本郷の家を失い、継母の実家があった現・和光市に移り、ここで生涯を閉じた。そのために、和光市が清水の顕彰に力を入れている。墓は文京区本駒込の吉祥寺にある。
1916年(大正5)に神田の中西屋書店出版部に入社した。同年に「小学新報社」(初め渋谷にあったが、大正9年11月に神田駿河台へ移転)が創設され、編集長の鹿島鳴秋と共に、少女雑誌『少女号』(大正5年創刊)や『幼女号』(大正7年創刊)『小学画報』(大正9年創刊)の編集に携わった。(編集部にはもうひとり、後の小説家山手樹一郎がいた)
編集の仕事をする傍ら、童謡の作詩を始めたのである。『少女号』の大正8年11月号に「靴が鳴る」(弘田龍太郎作曲)を、大正9年4月号に「叱られて」(弘田龍太郎作曲)を、同年6月号に「あした」(弘田龍太郎作曲)を、大正11年2月号に「雀の学校」(弘田龍太郎作曲)を発表した。(鹿島鳴秋にも、弘田龍太郎の作曲で、「金魚の昼寝」「お山のお猿」「浜千鳥」「お家わすれて」など)
東武東上線和光市駅南口に、「みどりのそよ風、靴が鳴る、叱られて」の童謡碑がある。白子橋の欄干に、「靴が鳴る」のプレートがある。白子コミュニティセンターに、清水かつらの資料展示がある。白子川遊歩道に、「清水かつら生誕百年記念碑」(平成11年3月建立)がある。白子小学校に、「みどりのそよ風」(昭和23年、草川 信作曲)の碑がある。
東京都板橋区に入ってしまうのだが、東武東上線成増駅北口に、「みどりのそよ風」の碑と、アクトホールの外壁に「雀の学校」の楽譜と歌詩のプレートがある。
執筆・楠木しげお

清水かつら 童謡碑 写真

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