浅原鏡村の「てるてる坊主」

【童謡碑・長野】
童謡「てるてる坊主」の作詩者・浅原鏡村(1895~1977)は、長野県北安曇郡池田町に、酒造業飯田屋の四男六朗として生まれた。父が事業に失敗し、一家は上京したが、5歳の六朗だけは叔母の家に預けられた。
大正7年、早稲田大学英文科を卒業し、実業之日本社に入社、雑誌『少女の友』の編集部員となった。
大正10年、この『少女の友』6月号に、“鏡村”のペンネームで、「てるてる坊主の歌」を発表した。これには、中山晋平の曲(初めての童謡作品)が付いていた。
中山晋平(1887~1952)はその後、題、詩、曲の一部を、現在歌われている形に改め、大正11年12月発行の中山晋平作曲集『童謡小曲』第2集に収録した。
鏡村の童謡作品は、この1編のみであり、浅原六朗はむしろ小説家であった。詩歌は俳句を好んで作った。
昭和38年9月、池田町の八幡神社境内に、「てるてる坊主」の童謡碑が建立された。
昭和39年3月には、母校ではないが生まれた町の、池田小学校校歌の作詩をした。
没後の昭和57年6月には、池田町役場の隣に、「てるてる坊主の館 浅原六朗文学記念館」が開館した。
池田町では、毎年6月に、「てるてる坊主童謡まつり」が行われている。
「てるてる坊主」童謡碑は、松本市礒ケ崎の城山公園にもある。(昭和36年建碑)
鏡村は松本城を訪ねたとき、浅間温泉の宿で、この詩を書いたという。
執筆・楠木しげお

てるてる坊主 写真

池田町八幡神社境内「てるてる坊主」の童謡碑

てるてる坊主 写真 松本市

「てるてる坊主」童謡碑 松本市礒ケ崎の城山公園