中田喜直

私が一番最初に作った曲は、小学校の三、四年の頃だったと思?が、三木露風の「静かな日」という詩に作曲した童謡である。
昭和二年発行の小学生全集第四十八巻、日本童謡集(上級用)西条八十緬、に出ていた詩である。この本を私は非常に大切にしていて、戦争中も私のカパンの中に入れたまま、台湾、フィリビン、ジャワまで、ずっと私と一緒だった。戦災で、留守宅にあった昔のものは一切なくなってしまったが、この本だけは無事だった。
この本の中から、六つの詩を選んで、私が「六つの子供の歌」という歌曲を一九四七年(昭和22年)に作曲し、発表した。この作品で、私が作曲家としてはじめて世に認められ、また現在も、この歌曲が、私のすべての作品の中の代表作になっている。だから、この一冊の童謡集を持っていなかったら、私の中の一番いい曲がなくなるので、私の今日に重大な影圏があったわけである。四十年前、私が六オの時に出た本に、すでに、サトウハチロー会長の詩がのっているのだから、たいしたものである。童謡協会が出来て、いい煎謡集が出来て、昔、私が歩んだような道を、また新しい時代の子供逹が歩んでいくのではないかと、ふと思ったりする。

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